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豊橋(とよばし)・吉田城
カテゴリ: 日記
2/12① 豊橋(とよばし)・吉田城

一度行って見たかったところ「~豊橋(とよはし)の豊橋(とよばし)~」。
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「Eテレ0655 おはようソング5 ご当地再発見!ソング さらばシリーズ」(2016年~)という、ロスプリモスが歌う昭和ムード歌謡にのって街が紹介されるコーナーがあり、♪「さらば高円寺」・「さらば宝塚」・「さらば八戸」・「さらば下呂温泉」・「さらばアムステルダム」とあって、その一つが♪「さらば豊橋」。(試聴はコチラ⇒♪「さらば、豊橋」
その曲の中に出て来る「~豊橋(とよはし)の豊橋(とよばし)~」
江戸時代の「東海道」が通る橋で、豊川にか架かるから豊橋と呼ばれ「豊橋市」の名の由来に。
三河地方を潤す1級河川豊川(とよがわ)は水量も多く水もきれいな立派な川。
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豊橋から上流へ堤防沿いの遊歩道を歩いて行くと、立派な「石垣」が現れました。
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もう少し進んで見上げると「櫓」が。
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遊歩道から「埋門」の石段を上がると、さらに立派で高さのある石垣があり圧倒されました。
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2段目の石段。「石垣に石段?」というのは珍しく、観光のために後付けされたものだと思ったら元々あるものとのこと。急な階段です。
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石段の上はしっかりと「虎口」(防御機能)となっていました。
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「北御多門」から入ると石垣に囲まれた広場になっていて「本丸」があったところ。
そして「吉田城鉄櫓」(くろがねやぐら)。もともと天守は無く本丸を囲む四隅に櫓があり、そのうちの一つを再建(昭和29年)したもの。
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鉄櫓の中は資料館になっていて「吉田城」の歴史等について知ることが出来ました。
1505年に今橋城として築城されのちに吉田城と改名。戦国時代には今川・武田・松平(徳川)の争奪戦が繰り広げられ、15644年に徳川家康(当時は松平)が攻略し酒井忠次が城主に。1590年に池田輝政が豊臣秀吉の命で城主となり城郭や町の整備も進んでいきましたが、1601年に徳川家康の命で「姫路城」へ転封となりました。
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最上階からの眺望。豊川がここで台地にぶつかりほぼ90度方向を変えている場所。天然の要害の上に城がにあり、川が水堀としての城の防御となり、水運の要所ということもよく分かりました。
遠くの山々の中にぼくが30代前半の頃に冬になると月イチでクライミングに来ていた「石巻山」があり懐かしく思いました。
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本丸への門は3か所あり、「裏後門」の方へ行ってみると「空堀」の遺構がありました。深さもあり端は川の方へと落ちていました。
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「川手櫓」が有った場所から見上げた様子。
鉄櫓の下の石垣は池田輝政の頃のもので、「野面積み」でのこの高さは日本有数とのこと。
左側の「打ち込み継ぎ」の石垣は池田輝政から引き継いだ松平家清によって造られたもので、名古屋城築城の際の残石も使われているとのこと。
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「歌川広重 東海道三十四 五十三次之内 吉田」に描かれている吉田城と吉田橋(豊橋)。
当時の様子をうかがい知ることが出来ます。
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