5/30④ 名古屋城外堀④(北側)
第4回は「北側」を西から東へ歩きます。

重要文化財「西北隅櫓」。
1619年頃に建てられ江戸時代から現存する三階櫓。櫓とはいえちょっとした天守閣ほどの大きさがあります。
外堀(水堀)の石垣の上には白漆喰の「長塀」が続いていましたが明治の初めの頃に取り壊され、濃尾震災の時に倒壊した他の櫓などは撤去されたそうです。

北から見る名古屋城「天守閣」。
西正面は堂々として威圧感がありますが、北側はとても凛々しく感じます。

白鳥が優雅に泳いでいました。

「二之丸」の石垣が見えて来ました。
御深井丸はほぼ埋立ですが、二之丸の北側の石垣はもともとの崖のへりの辺りを利用して作られています。

二之丸の石垣の上にある穴の開いた壁は「南蛮タタキ鉄砲狭間」。
「練塀」という石灰・赤土・種油を叩き上げたコンクリートのようなもので、円形の穴は鉄砲で敵を射撃する狭間。

お堀の外の縁と平行に作られた「藤の回廊」の中を東へと進みます。

二之丸の石垣の北東の角、水堀もここまで。
この辺りは水深が浅く草が覆い茂っています。
画像中央の一段上がった所が「空堀」の底、水堀の水面と高さが違うことが分かります。
遠くに見えるのが名古屋テレビ塔、名古屋市役所本庁舎の時計塔も見えます。

北側からの唯一の門「清水御門」があったのはたぶんこの辺り。
明治になるとすぐに取り壊されてしまったそうです。
(一宮市の妙興寺の山門へと移築されたとも伝わっています)

清水門跡から東側を見るとセメントで固められた石垣が目につきます。
台地の崖のへりと土塁が築かれていた場所で、手前の開削され作られた大津通との高さの違いがよく分かります(歩道を歩いてる人と高さを比べて下さい)。

少し下ったところから見ると工事用の白いフェンスの向こうにコンクリート壁が東へと続き、その先のこんもりとした緑は現在も残る三の丸の土塁部分の北東の一帯。

さらに東へと進んで、土塁の北東の角から西手前100mぐらいのところ。

東側の北の端の今日のスタート地点に戻ってきました!
この北側の崖のへりはここからさらに東へと続き、41号線の清水の坂、徳川園の日本庭園の高低差、そしてナゴヤドームの南側へと続いています。ちなみに2000年の東海豪雨の時にナゴヤドームが浸水したのは、南側の斜面に降った雨が流れ込んだため
と言われてます。

*「5/30①~④」の記事として取り上げていますが、後日あらためて撮影した画像も含まれています。
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