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名古屋城外堀②(南側)
カテゴリ: 日記
5/30② 名古屋城外堀②(南側)

第2回は三之丸外堀の「南側」を東から西へと歩きます。
下記画像のピンクの太線の部分。
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久屋大通の北の起点となる「久屋橋」(竣工は戦後)を過ぎて少し歩くと、次は「大津橋」の交差点に出会います。
1933(昭和8)年に土塁を開削して官庁街から熱田神宮まで続く「大津通り」をつなぐために架けられた橋。
左の高架は「名古屋高速都心環状線」、その下がその名のとおりの「外堀通」。
以前、ぼくの務める会社の支社がこの近くにあり、会議などで通っているうちにこの「外堀」の存在を知りました。正直そんな事でもない限り今でも知らなかったかもしれません。何度も言うけど名古屋市民でも知らない人がほとんど。
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大津橋の上から西側を見ると、市内とは思えない鬱蒼とした緑が続いていました。
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外堀通りから南側には江戸時代の「碁盤割」の町割りが現在もそのままで、久屋通から木挽町通まで南北の通りが12本ほど、東西の通りが京町通や魚ノ棚通など広小路通まででも10本ほどと、通りの名も残っています。
画像の「呉服町通」の先には「錦三丁目」があり、その先にはロフト名古屋があり大須まで続いています。
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「本町橋」。ここは武家屋敷と町屋をつなぐ「本町御門」があった場所。
左右に石垣が残っているのを見ながら、ここに大きな櫓門があり門番も立っていただろうと思いを馳せます。
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本町橋を中心としたこの一帯は、陸生「ヒメボタル」の生息地として保護されている地域。
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そのためかほとんど手が入れられてなくて、お堀の中は森のよう。
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歩をさらに西へと進めると、国道22号を通すために土塁が開削され作られた「新御園橋」があり、
その先に自動車は通ることは出来ない「御園橋」に差し掛かります。
外堀の5つの門のひとつ「御園御門」があった場所で、立派な石垣と虎口の跡も残っています。現在の橋は1901年(明治44年)に掛け替えられた鋼橋、名古屋市立図書館への通路となっています。
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400年前に積まれたとされる石垣が今なお来るものを威圧しています。
斜面はこの辺りから西側へ大きく下り始めます。
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外堀の南西の角となるところ。
外掘はここまでですが、土塁は90度に曲がり北へ延びています。
(南へは土塁はないものの台地の段差は熱田神宮付近まで続いています)
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ここは明治44年から昭和51年まで瀬戸電の「堀川駅」があったところ。
「お堀電車」の終着駅。
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そのすぐ先に福島正則が掘削して築いた運河「堀川」があり、西側を守るお堀の役目も果たしていました。
明治~昭和にかけては、瀬戸市から「瀬戸物」が瀬戸電で運ばれ、ここから船に乗せて運河を下り、名古屋港から海外へと輸出されていました。
「景雲橋」から北側を見た様子。
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第3回へ続く。

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編集 / 2020.05.30 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
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