7/20① 八幡山ロープウェー
「近江八幡市」を訪れました。
まずは「八幡山ロープウェー」に乗って山の上へ。

安土桃山時代、八幡山には「八幡山城」があり、
現在も当時の石垣などが残っています。

そして本丸があった場所には現在「村雲瑞龍寺」が建っています。

八幡山城は本能寺の変の後、豊臣秀吉の甥で後継者とされた
「豊臣秀次」の居城として建てられました。
しかし秀吉に世継ぎが出来ると秀次は疎まれるようになり、
やがて謀反の疑いで高野山で自害させられ、
幼い子や側室・侍女・乳母まで計39名も三条河原で斬首されました。
秀次の母であり秀吉の姉で出家した日秀尼を哀れんだ後陽成天皇は、
京都村雲の地を与え瑞龍寺を創建させました。
豊臣秀次の菩提を弔うため開いた寺院。
その後、瑞龍寺は別名を「村雲御所」と称し
皇女や公家の娘を住職とし尼寺として代々受け継がれ、
昭和37年に京都からこの豊臣秀次ゆかりの八幡山へ移築されました。

拝観料を払い本堂などの中を見せていただけます。
日蓮宗の寺院で日蓮聖人本尊がありました。
襖絵は江戸後期に狩野派絵師が描いたものとされ、
まじかで見ることが出来ました。

京都御所と同じく御所造りとされ、「雲の間」と呼ばれる御座所がありました。
襖絵に描かれた雲に包まれたとても落ち着いた雰囲気のお部屋でした。

皇室の「菊の御紋」が随所にあり、お寺なのになぜ?と感じてしまいますが、
「門跡寺院」(皇族・公家が住職を務める特定の寺院)であり、
現在でも天皇家との親交が続いているとのこと。

豊臣秀次公銅像の原型。
毎年7月15日の命日にここ八幡山で供養が行われているそうです。

西の丸阯からは琵琶湖や対岸の向こうには比良山系が望めました。
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