6/6 二之丸庭園
(またまた「名古屋城」ネタです)。
栄で用事があって自転車で行った帰りにふらっと名古屋城へ。
東門から入って「二之丸広場」の前のベンチで、コカコーラスリムボトル地域デザイン「名古屋(金のシャチホコ)」を飲んで休憩。
この二の丸の場所には、戦国時代、織田信長の生誕地とされ初めて城主となった「那古野城」があり、江戸時代に「名古屋城」が築かれてからは尾張藩主の屋敷と藩の政が行われた「二之丸御殿」が建っていました。北側と東側には歴代藩主に愛された「二之丸庭園」・「二之丸東庭園」が造られ、南側の現在ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)がある辺りには、主に「向屋敷」や「弓道場」・「馬場」があったそうです。

そんなわけで、今日は「名勝二之丸庭園」を散策することにしました。
江戸時代には「迎涼閣」(げいりょうかく)と「逐涼閣」(ちくりょうかく)という亭閣や茶屋や園池などがある回遊式庭園で、尾張藩の庭園文化が花開いていた場所。現在は「北御庭」・「東庭園」と戦後作られた「前庭」と分けられています。現在はほぼ全域が「国指定名勝」に。

前庭に入ると現れるのは「二の丸茶亭」。
抹茶や和菓子が楽しめる休憩所。名古屋の和菓子の有名店「松河屋老舗」の和菓子が楽しめ、金の茶釜でお茶を点をしている日もあります(まだ自粛休業中)。

「北御庭」の築山のひとつ「栄螺山」(さざえやま)。
サザエの殻のように巻いているのが特徴。

築山「権現山」。この辺は2013~2023年までの10年間に渡る大規改修工事中。

お庭の造りなどについては勉強不足で知らないので、またの機会に触れさせていただきたいと思います。

青モミジの緑とサツキの赤がいい感じ。

二之丸東庭園の広場。六つあった御茶室の一つ「余芳」があった場所で、現在茶室は解体し保管してあり今後復元展示される予定だそうです。
「名古屋城おもてなし武将隊」のイベントが行われたり、ピクニックも最適な場所です。

「南池」。江戸時代後期に作られ、水が張られ船も浮かべられていたとのこと。明治の初めに埋められてしまいましたが、昭和50年頃に発掘整備され現在に至ります。

茶室の中でいちばん大きかったとされる「霜傑亭」(そうけつてい)があった跡(発掘)。

「北暗渠」(きたあんきょ)。お庭の排水路の遺構。

「南蛮練塀」(なんばんねりべい)。二之丸北側の堀の石垣の上部に現存する土塀。粘土と砂利を石灰や油で練り固められたもの。鉄砲狭間の円形の穴があります。

画像右側の石垣には「埋御門跡」(うずみごもんあと)という藩主脱出用の門の遺構があり、二之丸から石垣を空堀に水堀を船で渡って逃げられるようになっていたそうです。

「本丸東二之門」から本丸へと向かいました。
本来の本丸東二之門は焼失したため、現在あるのは二之丸東鉄門から移築されたもの。1612年頃に作られたもので重要文化財「旧二之丸東二之門」として保存されています。

本丸の広場には少しだけ観光客がいました。外国人ばかりでしたが。

金シャチ横丁の「鳥開」で「名古屋コーチン親子丼」と、十代目儀助のクラフトビール「Day」 を楽しみました。
